大津地方裁判所 昭和51年(わ)211号 判決 1983年5月17日
本店所在地
京都市中京区聚楽廻東町一五番地
上田建設株式会社
(代表者代表取締役 上田茂行)
本店所在地
京都市中京区聚楽廻東町一五番地
大和不動産株式会社
(代表者代表清算人 上田辰見)
右両法人に対する各法人税法違反、会社臨時特別税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官諸岩龍左出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。
主文
被告人上田建設株式会社を罰金二億四〇〇〇万円に、被告人大和不動産株式会社を罰金六〇〇〇万円に各処する。
訴訟費用は別紙訴訟費用負担一覧表のとおり被告人両会社の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人上田建設株式会社(以下被告会社上田建設という。)は、滋賀県長浜市分木町四番三一号に本店を置き(昭和五一年一一月一日京都市左京区岡崎円勝寺町六二番地に、昭和五四年五月一日肩書所在地に本店を順次移転した。)、不動産の売買・あっ旋等の事業を営むことを目的とする資本金三〇〇〇万円の株式会社であり、被告人大和不動産株式会社(以下被告会社大和不動産という。)は、被告会社上田建設と同じく滋賀県長浜市分木町四番三一号に本店を置き(昭和五一年一一月一八日京都市左京区岡崎円勝寺町六二番地に、昭和五四年五月一日肩書所在地に本店を順次移転した。)、同被告会社と同様の事業を営むことを目的とする資本金一〇〇〇万円の株式会社で、昭和五六年一月一二日解散により清算中のものであり、上田茂男は、右被告両会社の代表取締役(昭和五三年九月一五日被告両会社の代表取締役を退任した。)として各被告会社の業務を統轄掌理していたものであるが、右上田茂男は、
第一被告会社上田建設の業務に関し、
一 同被告会社の法人税を免れようと企て、昭和四八年五月一日から昭和四九年四月三〇日までの事業年度における同被告会社の実際所得金額は二〇億四四四九万五一〇一円(別紙1修正損益計算書参照)で、これに対する法人税額は一一億三五九一万九〇〇〇円(課税土地譲渡利益金額が二〇億七八五〇万円でこれに対する土地譲渡税額四億一五七〇万円を含む。別紙2税額計算書参照)であったのにかかわらず、右事業年度の土地の売上の一部を、公表経理上、未だ売買契約の履行が完了していないように作為し、その収益を当該事業年度の収益としないで未成工事受入金として処理し、故意に収益を繰り延べるなどして所得を秘匿したうえ、昭和四九年七月一日滋賀県長浜市高田町九番三号所在の所轄長浜税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が一億八〇二三万五二一五円で、これに対する法人税額が三五一二万五一〇〇円である旨過少に記載した法人税確定申告書を提出して虚偽の申告をなし、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により右事業年度の法人税一一億〇〇七九万三九〇〇円を免れ、
二 同被告会社の会社臨時特別税を免れようと企て、前一記載の事業年度における同被告会社の実際所得金額は前記のとおり二〇億四四四九万五一〇一円で、これに対する会社臨時特別税額は六一〇一万六五〇〇円(前掲別紙2参照)であったのにかかわらず、前一記載の方法により所得を秘匿したうえ、会社臨時特別税の申告期限である昭和四九年七月一日までに当該申告書を所轄長浜税務署長に提出せず、もって不正の行為により右事業年度の会社臨時特別税六一〇一万六五〇〇円を免れ、
第二被告会社大和不動産の業務に関し、
一 同被告会社の法人税を免れようと企て、昭和四八年一〇月一日から昭和四九年九月三〇日までの事業年度における同被告会社の実際所得金額は五億八一六九万〇八〇五円(別紙3修正損益計算書参照)で、これに対する法人税額は二億八一二二万六〇〇〇円(課税土地譲渡利益金額が三億二八〇六万八〇〇〇円でこれに対する土地譲渡税額六五六一万三六〇〇円を含む。別紙4税額計算書参照)であったのにかかわらず、公表経理上架空の売上原価を計上するなどして所得を秘匿したうえ、昭和四九年一一月三〇日前第一の一記載の所轄長浜税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額は九三一一万三八一四円で、これに対する法人税額は二〇三六万三六〇〇円である旨過少に記載した法人税確定申告書を提出して虚偽の申告をなし、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により右事業年度の法人税二億六〇八六万二四〇〇円を免れ、
二 同被告会社の会社臨時特別税を免れようと企て、前第二の一記載の事業年度における同被告会社の実際所得金額は前記のとおり五億八一六九万〇八〇五円で、これに対する会社臨時特別税額は三二四万〇七〇〇円(前掲別紙4参照)であったのにかかわらず、前第二の一記載の方法により所得を秘匿したうえ、会社臨時特別税の申告期限である昭和四九年一一月三〇日までに当該申告書を所轄長浜税務署長に提出せず、もって不正の行為により右事業年度の会社臨時特別税三二四万〇七〇〇円を免れ
たものである。
(証拠の標目)
判示事実全部について
一 上田茂男の当公判廷における供述
一 証人千足幸司(第五九及び六〇回)、同渡辺芳春(第六一回)及び同大住正次(第六三ないし六七回)の各公判調書中の各供述部分
一 上田茂男の検察官に対する昭和五一年六月二五日付及び同月二八日付各供述調書謄本
一 大住正次(昭和五一年六月九日付、同月一〇日付及び同月二七日付)及び渡辺芳春(同月一〇日付、同月一九日付、同月二六日付及び同月二九日付)の検察官に対する各供述調書
判示冒頭の事実について
一 被告会社上田建設代表者上田茂行の当公判廷における供述
一 被告会社上田建設(二通)及び同大和不動産の各登記簿謄本
判示第一及び第二の各事実について
一 渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月一三日付供述調書
一 検察事務官作成の「上田茂男が所持していた印鑑についての捜査報告」と題する書面
判示第一の各事実について
〔被告会社上田建設の昭和四八年五月一日から昭和四九年四月三〇日までの事業年度分の法人税確定申告の状況及び内容並びに会社臨時特別税の不申告の事実並びに別紙1修正損益計算書記載の公表金額につき〕
一 渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月二二日付供述調書
一 被告会社上田建設の法人税確定申告書の謄本
〔別紙1修正損益計算書記載の勘定科目<3>の当期増減金額の内容につき〕
一 証人大塚三郎(第四一回)、同新島幸雄、同新井文央(以上第四二回)、同篠原忠治(第四三回)、同滝田善左衛門(第四七回)同小野田正欣(第四九回)、同瀬戸輝夫(第五〇回)、同森茂生(第五二ないし五四回)及び同谷口喜良(第五八回)の各公判調書中の各供述部分
一 第四〇回公判調書中の証人芝田正の尋問調書
一 上田茂男(昭和五一年七月八日付、同月九日付及び同月一二日付)、大住正次(同年六月二一日付及び同月二三日付)及び宗雪喜佐一(二通、ただし同月四月一九日付は同意部分のみ)の検察官に対する各供述調書
一 押収してある株式会社熊谷組被告会社上田建設間の昭和四八年九月三日付不動産売買契約書(昭和五二年押第七五号の四九)、被告会社上田建設飛島建設株式会社間の同年一〇月五日付不動産売買契約書、同年一二月一九日付不動産売買契約変更契約書その2(以上同号の五一)及び昭和四八年一〇月五日付覚書(昭和五六年押第二三号の四)、被告会社上田建設の第一九期総勘定元帳(昭和五二年押第七五号の一二三)及び決算書務綴(同号の一三二)、真野谷口登記謄本綴(同号の五六)、飛島建設株式会社滋賀県土地開発公社間の昭和四八年一一月二四日付不動産売買契約書(同号の五七の一)、飛島建設株式会社京都デベロッパー株式会社間の同日付不動産売買契約書(同号の一四〇)、被告会社上田建設及び伊吹建設株式会社大日本土木株式会社間の昭和四九年三月一一日付覚書写(昭和五六年押第二三号の六)、被告会社上田建設株式会社大林組間の昭和四七年一二月二八日付覚書(昭和五二年押第七五号の一一一)、同日付不動産売買契約証書(同号の一一二)、同日付附帯覚書(1)(同号の一一三)、昭和四八年三月二〇日付確認書(同号の一一四)、同年八月一〇日付不動産売買契約一部解除契約証書(同号の一一五)、同日付不動産売買契約証書(同号の一一六)、及び同日付確認書(同号の一一七)、「大津市伊香立(堅田(B))土地購入の件(その2)」と題する禀議書(同号の一四二)、家田南庄土地買収状況図(同号の一四三)、被告会社上田建設モリカワ商事株式会社間の昭和四七年一一月三〇日付不動産売買契約書(同号の一一九)モリカワ商事株式会社名義被告会社上田建設宛の同日付念書(昭和五六年押第二三号の五)並びに被告会社上田建設の固定資産台帳(昭和五二年押第七五号の一三七)並びに第一五期(同号の一三八)、第一六期(同号の一三九)及び第一八期(同号の一二二)各総勘定元帳
〔同<4>の当期増減金額の内容につき〕
一 第四〇回公判調書中の証人芝田正の尋問調書(前出)
一 国税査察官作成の各調査報告書(二通)
一 検察官及び弁護人作成の合意書面
一 押収してある株式会社熊谷組被告会社上田建設間の昭和四八年九月三日付不動産売買契約書(前出昭和五二年押第七五号の四九)並びに被告会社上田建設の昭和四九年四月分振替伝票綴(同号の一二〇)並びに第一八期(前出同号の一二二)及び第一九期(前出同号の一二三)各総勘定元帳
〔同<23>の当期増減金額の内容について〕
一 第四七回公判調書中の証人滝田善左衛門の供述部分(前出)
一 押収してある被告会社上田建設株式会社大林組間の昭和四八年三月二〇日付(前出昭和五二年押第七五号の一一四)及び同年八月一〇日付(前出同号の一一七)各確認書並びに被告会社上田建設の第一八期(前出同号の一二二)及び第一九期(前出同号一二三)各総勘定元帳
〔同<29>及び<31>の当期増減金額の内容につき〕
一 長浜税務署長作成の証明書(被告会社上田建設の青色申告の承認の取消に関するもの)
一 押収してある被告会社上田建設の決算書類綴(前出昭和五二年押第七五号の一三二)
〔同<30>及び<32>の当期増減金額の内容につき〕
一 上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月八日付供述調書(前出)
一 押収してある被告会社上田建設の決算書類綴(前出昭和五二年押第七五号の一三二)及び第一九期総勘定元帳(前出同号の一二三)
〔同<39>の当期増減金額の内容につき〕
一 丸尾哲夫の検察官に対する供述調書
一 押収してある被告会社上田建設の決算書類綴(前出昭和五二年押第七五号の一三二)及び第一八期総勘定元帳(前出同号の一二二)
〔同<40>の当期増減金額の内容につき)
一 中京税務署長作成の捜査関係事項照会回答書
一 押収してある被告会社上田建設の決算書類綴(前出昭和五二年押第七五号の一三二)
判示第二の各事実について
〔被告会社大和不動産の昭和四八年一〇月一日から昭和四九年九月二〇までの事業年度分の法人税確定申告の状況及び内容並びに別紙3修正損益計算書記載の公表金額につき〕
一 渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月二三日付供述調書
一 被告会社大和不動産の法人税確定申告書の謄本
一 被告会社大和不動産の法人税確定申告書の謄本
〔別紙3修正損益計算書記載の勘定科目<1>の当期増減金額の内容につき〕
一 大蔵事務官作成の査察官調査書
一 押収してある被告会社大和不動産の決算書類綴(昭和五二年押第七五号の一三三)
〔同<4>の当期増減金額の内容につき〕
一 上田茂男(前出昭和五一年七月一二日付)及び大住正次(同年六月一一日付、同月一三日付、同月一四日付二通及び同月二九月付)の検察官に対する各供述調書
一 大蔵事務官作成の査察官調査書(前出)
一 検察官及び弁護人作成の合意書面(前出)
一 押収してある被告会社大和不動産滋賀県土地関発公社間の昭和四八年九月一〇日付不動産売買契約書写及び同日付土地交換に関する契約証書写(以上昭和五二年押第七五号の九六)並びに被告会社大和不動産の第九期総勘定元帳(同号の一二四)及び決算書類綴(前出同号の一三三)
〔同<24>の当期増減金額の内容につき〕
一 長浜税務署長作成の証明書(被告会社大和不動産の青色申告の承認の取消に関するもの)
一 押収してある被告会社大和不動産の決算書類綴(前出昭和五二年押第七五号の一三三)
〔同<33>の当期増減金額の内容につき〕
一 中京税務署長作成の捜査関係事項照会回答書(前出)
一 押収してある被告会社大和不動産の決算書類綴(前出昭和五二年押第七五号の一三三)
(弁護人の主張に対する判断)
一 被告会社上田建設の真野谷口土地の売上高について
弁護人は、同被告会社が飛島建設株式会社に対し、昭和四八年一〇月五日付契約により売却した、大津市真野谷口町字下長谷四四番山林はじめ同町所在の一一三筆公簿面積合計六万九三二〇坪の土地(以下真野谷口土地という。)については、同年五月一日から昭和四九年四月三〇日までの事業年度(以下四九年四月期という。)において取引が未完結であるから、同期には売上として計上すべきではない、すなわち、右契約の内容は、当時同被告会社の所有していた右真野谷口土地に、同土地周辺の第三者所有地公簿面積合計一万二〇八八坪を加えた合計八万一四〇八坪の土地を一体不可分のものとして売買の目的とし、同目的地内にいわゆる虫食いのない一面土地になることを停止条件とし、あるいは右のごとき一面土地にしたうえで買主に引渡すことを売主の義務とする請負類似の実質をもったものであり、しかも右目的物の所有権は売買代金としての支払手形の期日到来による完済と同時に移転する旨特約されているものであるところ、四九年四月期には前記第三者所有地一万二〇八八坪の買収ができなかったため、目的物全体は一面土地となっておらず、したがって、右契約の停止条件が成就していないか、あるいは仕事が未完成の段階であり、また、真野谷口土地六万九三二〇坪の売買代金としての支払手形の最終の支払期日すなわち代金完済予定の日は、両当時者間の昭和四九年二月五日付変更契約により昭和五一年一〇月三一日とされていたのであって四九年四月期には未だ完済されていなかったのであるから、真野谷口土地の所有権は買主に移転しておらず、したがって同土地の引渡も完了していなかったのであり、以上の理由から、同期においては右取引による収益を売上として計上すべきではないと主張する。
そこでこの点につき検討するに、前掲証人大塚三郎、同森茂生及び同千足幸司の各供述によれば、昭和四八年一〇月五日、被告会社上田建設と飛島建設株式会社の間で真野谷口土地の売買契約が締結され、同日調印された契約書も取り交されたところ、間もなく売買代金額を改訂することとなったため、同月三〇日、作成日付を同月五日に遡らせて、前掲押収にかかる被告会社上田建設飛島建設株式会社間の同日付不動産売買契約書に調印し、これを右原契約書と差し替えたものであるが、右押収にかかる契約書の文言は、原契約書とは単価、代金総額及び支払手形の金額を異にするだけで他には全く変更がないと認められるところ、右押収にかかる契約書には、第一条に売買物件として、売主及び第三者所有にかかる真野谷口土地六万九三二〇坪とその周辺の一万二〇八八坪の合計八万一四〇八坪を掲げ、第七条で「本契約は買主が宅地造成を目的として買受けるもので売買物件の地域内に未買収遺漏土地がない一面土地であることを条件とする。」と謳い、さらに第八条には「売買物件の所有権は、売買代金としての支払手形完済と同時に売主から買主に移転する。」旨規定されており、これを見る限り弁護人主張のとおりの契約内容が窺われるのであるが、しかしながら、前掲証人大塚三郎、同新島幸雄、同新以文央、同篠原忠治、同森茂生、同千足幸司及び同大住正次の各供述、前掲証人芝田正の尋問調書並びに前掲株式会社熊谷組被告会社上田建設間の昭和四八年九月三日付不動産売買契約書、被告会社上田建設飛島建設株式会社間の同年一〇月五日付不動産売買契約書、同日付覚書、同年一二月一九日付不動産売買契約変更契約書及び和年四九年二月五日付不動産契約売買変更契約書その2、真野谷口登記謄本綴、飛島建設株式会社滋賀県土地関発公社間の昭和四八年一一月二四日付不動産売買契約書並びに同日付飛島建設株式会社京都デベロッパー株式会社間の不動産売買契約書を綜合すると、昭和四五年三月三日、被告会社上田建設と同系列の伊吹建設株式会社が株式会社熊谷組に対し真野谷口土地及びその周辺の土地合計約八万二〇〇〇坪を売却したが、そのうち既に右伊吹建設において買収済の土地は四万坪弱にすぎず、その余は買収でき次第順次熊谷組に引渡す旨約定されていたこと、そして最終的に引渡が済んだのは本件真野谷口土地六万九三二〇坪であり、その進入路に当る部分と真野谷口土地に囲まれた中心部の二筆とが買収されておらず、地形的、地理的に開発が困難で、大津市の開発許可が得られる見込も薄いなどの理由から、熊谷組は当初考えていた自社での開発を諦め、転売先を求めた結果、被告会社上田建設がこれを買受けることになったこと、同被告会社は昭和四八年九月三日真野谷口土地を代金一七億三三〇〇万円で買い受けたが、代表者上田茂男は、同土地を一時飛島建設株式会社に所有させたうえで滋賀県土地開発公社に売り付け引き取らすことを考え、その意思を日本信託銀行京都支店不動産部長森茂生に伝えるとともに飛島建設株式会社への売却の仲介を依頼したこと、これを引受けた森は、態谷組との売買契約書の物件明細を受領し、公図、登記簿謄本等の調査をしたうえ、同月二七日ころ飛島建設株式会社本社を訪れ、担当の同社常務大塚三郎及び同社経理課長新井文央に対し、坪単価三万八〇〇〇円その他取引条件等を説明したが、物件については明細を示さず、図面で該土地の範囲を示したうえ面積合計が八万坪弱との説明をした程度であったこと、飛島建設株式会社側は森の仲介であることを信用して、この時点で買受を決定し、同人に契約手続をとるよう求めたこと、同人が契約書の原案を作成するにあたり、上田茂男から、第三者所有物件一万二〇八八坪をも売買の対象とする旨契約書に明記するとともに、別個に覚書を作成して、飛島建設株式会社に一〇パーセントの利益を保障する旨、さらには真野谷口土地六万九三二〇坪が本売買契約の対象で、第三者所有の一万二〇八八坪については取引の対象外である旨等を記載するよう指示があり、合わせて、第三者所有地を形式上加えるのは、これを引渡さない以上真野谷口土地分を売上に計上しなくてよいからだとの説明もあったこと、右森はその指示に従い不動産売買契約書及び覚書の原案を作成して両会社に示したこと、飛島建設株式会社の新井は右原案を見て、本売買契約の対象は真野谷口土地六万九三二〇坪に限られると認識し、第三者所有地を契約書で形式的に掲げたのは、上田建設側の売上の繰延を企図した巧妙な税務対策であると感じたが、結局契約書及び覚書の双方により定められた契約条項が当初了承された取引内容と実質的に異ならなかったため、上司とも相談のうえ右草案どおりの契約書及び覚書に調印することとしたこと、同年一〇月五日日本信託銀行京都支店において、契約書及び覚書の調印がなされたが、その場には上田茂男も出席していたこと、右覚書には、売主が、買主の行う造成のための開発許可又は法令による開発制限の解除の申請手続につき協力する旨、売主は、農地転用許可後、その所有権移転登記申請に必要な証明書等の書類を買主に引渡す旨、原契約による売買物件は公簿面積八万一四〇八坪であるが、売買物件は添付図面の地域で公簿面積六万九三二〇坪の範囲内であることを買主が確認し、所有権移転完了後の売買物件の地積が原契約と相違しても買主は異議がなく、ただ右六万九三二〇坪に囲まれた二筆の第三者所有地については、売主がこれを買受けた場合には原契約に拘らず時価をもって別途買主に売渡す旨に加え、売買代金支払のための手形は第三者に譲渡できない旨及び転売の場合には買主に一〇パーセントの利益を保障する旨が記載されていたこと、そして、真野谷口土地六万九三二〇坪については直ちに登記の手続をする旨定めた契約条項に則り、昭和四八年一〇月一一日付で飛島建設株式会社への所有権移転登記(農地については所有権移転請求権の移転登記)を済ませたこと、右調印後間もなく、上田茂男から大塚に対し、売買単価の計算違いがあったから坪当り四万九〇〇〇円にしてもらいたいとの強硬な申入れがあり、飛島建設株式会社側もやむなくこれに応じることとし、同月三〇日、同社本社において、作成日付を当初契約の同月五日に遡らせた新契約書に調印し、既に交付済の支払手形を差し換えたこと、同年一一月一〇日ごろ、滋賀県土地開発公社から、同社に対し、森を仲介して真野谷口土地購入の申入があり、同月二四日、同土地から新日本レースの敷地となっていた一六八〇坪を除いた部分を実測七万七〇一五坪として売却し、同日右一六八〇坪は京都デベロッパー株式会社に売り渡し、滋賀県土地開発公社については、同年一二月一八日付で所有権又は所有権移転請求権の移転登記がなされたこと、同月一九日、真野谷口土地の実測面積が七万八六九五坪と確定したことにより被告会社上田建設と飛島建設株式会社間の売買代金及び支払手形の金額の変更契約がなされたこと、その前後に、同被告会社からの要請で、前記覚書条項のうち後二点を削除した新しい覚書を作成して差し替えることとなり、その際、前掲押収してある上田建設株式会社飛島建設株式会社間の昭和四八年一〇月五日付覚書が作成され、間もなく旧覚書は同被告会社に返戻されたこと、さらに昭和四九年二月五日、滋賀県土地開発公社から飛島建設株式会社に対する代金支払が遷延することとなったため、同社と同被告会社との間でも支払を延期する旨変更契約をなし、手形の最終の支払期日が昭和五一年一〇月三一日とされたことを認めることができる。
さらに、前掲宗雪喜佐一の各供述調書によれば、真野谷口土地の飛島建設株式会社との取引前の昭和四八年五月に被告会社大和不動産が滋賀県草津市南笠町の土地を宏和興産株式会社に売却した際にも、売買物件その他の取引内容が決定し契約書の草稿を作成している段階で、上田茂男は、宏和興産に対し、右売買物件に隣接するが買主が必要としない第三者所有土地二筆を売買の対象に加えるとともに、右二筆については同被告会社が買収できれば宏和興産株式会社に売渡すこととし、その売渡期限を同被告会社の次の事業年度である昭和四九年六月三〇日とするよう要求し、その旨契約内容を変更したこと、右二筆は結局宏和興産株式会社に売渡されず、同年六月三〇日付で右二筆分の契約解除がなされたこと、宏和興産株式会社の担当者宗雪は、右二筆の売買物件への追加は、売上計上の繰延を図ったものだと感じたことが認められ、また前掲証人小野田正欣、同瀬戸輝夫及び同森茂生の各供述並びに前掲昭和四九年三月一一日付被告会社上田建設及び同大和不動産と大日本土木株式会社間の覚書写によれば、右当事者間の大津市真野佐川町土地についての同日付売買契約の際、真野谷口土地の場合と若干表現は異なるが、契約書に謳った売買物件の一部については売主である上田建設及び大和不動産側に引渡義務がないことを明らかにする条項や、支払手形の譲渡禁止や買主に対し転売の際の利益として転売代金の五パーセントを保障する旨記載のある、真野谷口土地に関する覚書と実質的な内容を同じくする覚書が調印、取交しされていること、及び昭和四九年三月三〇日いわゆる上田建設グループの一で上田茂男が経営の実権を握る前記伊吹建設株式会社が東海土地建物株式会社に対し大津市上田上桐生町の土地、同年九月二六日被告会社上田建設、同大和不動産及び伊吹建設株式会社が飛栄産業株式会社及び東海土地建物株式会社に対し同市上田上平野町の土地をそれぞれ売却した際にも、右真野佐川町の場合と同旨の覚書を交わしていることが認められる。
以上の事実を総合すれば、上田茂男は、被告会社上田建設が飛島建設株式会社に真野谷口土地を売却するにあたり、同土地六万九三二〇坪だけを売買の目的としているにもかかわらず、同土地の引渡が終了しても直ちに売上計上して右収益に対する課税負担が生じるのを妨げるため、同土地の引渡が売買契約の一部の履行に過ぎないごとく仮装し、約三年前から買収にかかって未だこれを遂げられず、今後も買収の見込がないと思われる第三者所有地一万二〇八八坪をも売買の対象とする売買契約書を作成し、同時に覚書を交わして右第三者所有地は売買の対象外で、売主は何らこれに関する義務を負わないことを明らかにしたものであり、したがって本件売買契約は、真野谷口土地六万九三二〇坪だけをその対象としたものと認めなければならない。証人大住正次及び同千足幸司の各供述及び上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月九日付供述調書中の以上の認定に反する部分は信用することができない。
そして、真野谷口土地は、前掲被告会社上田建設、飛島建設株式会社間の昭和四八年一〇月五日付不動産売買契約書第五条に所有権又は所有権移転請求権の移転登記手続を契約と同時に行うこととされており、前認定のとおり契約日から間もない同月一一日付で現に飛島建設株式会社名義の各移転の登記がなされているのであるから、遅くとも右登記の受付日たる昭和四八年一〇月一一日をもって、その引渡が完了したと認めるのが相当である。弁護人はこの点につき、前記のとおり代金完済と同時に所有権が移転する旨の特約があり、右代金完済の予定は昭和五一年一〇月三一日とされていたのであるから、登記の移転があっても所有権は移転していないと主張するが、本件のように当事者間でも所有権の移転を目的とし、第三者への転売をも当初から予定しており、前認定のとおり現にその転売を完了している場合に、当事者間での所有権移転時期を転売完了後のある時期にまでずらすことの合意が有効なものとして第三者に主張できるかどうかは大いに疑問であるのみならず、当事者間で所有権移転登記手続に先立ち代金支払のための約束手形を授受済であるから、財価の客観的な流れを捉えて課税しようとする税法上の見地からすれば、前認定のとおり遅くとも移転登記の日をもって引渡が完了したものとするのが相当であり、弁護人の主張は採用することができない。
以上のとおりであるから、弁護人の主張は結局理由がなく、真野谷口土地については、四九年四月期に売上計上すべきであり、その売上高は前掲被告会社上田建設、飛島建設株式会社間の昭和四八年一二月一九日付不動産売買契約変更契約書により三八億五六〇五万五〇〇〇円であることが明らかである。
二 被告会社上田建設の南庄家田土地の売上高について
弁護人は、同被告会社が株式会社大林組に対し、昭和四八年八月一〇日付売買契約により売却した大津市伊香立南庄町字大平五四〇番山林はじめ同町同市真野家田町及び同市真野大野町所在の七六筆公簿面積合計二万六三五一坪(以下南庄家田土地という。)については、前一と同様四九年四月期において取引が未完結であるから、同期には売上として計上すべきではない、すなわち、昭和四七年一二月二八日、右当事者間で、南庄家田土地と周辺の土地とを合わせ公簿面積合計約三〇万坪を一体不可分のものとして売買の目的物とし、売主には、右のうちいわゆる虫食い部分が一割以内となるまで買収してこれを買主に引渡す義務があるものとし、売買価格については平均して一坪当り一万九〇〇〇円とする旨の売買契約を締結し、右南庄家田土地二万六三五一坪は右契約の一部の履行として昭和四八年八月一〇日に引渡したものであり、しかも、四九年四月期末である昭和四九年四月三〇日までに買主に引渡したのは、南庄家田土地二万六三五一坪のほか、昭和四八年三月二〇日付の一四万四一九一坪の合計一七万〇五四二坪にすぎず、未引渡の土地は全体の四割を超えているのであって、売主の引渡義務の履行が完了していないのであるから、同期末において南庄家田土地の取引による収益を独立して売上として計上すべきではないと主張する。
そこでこの点につき検討するに、前掲証人滝田善左衛門、同千足幸司及び同大住正次の各供述、前掲被告会社上田建設、株式会社大林組間の、昭和四七年一二月二八日付覚書、不動産契約売買証書及び附帯覚書(1)、昭和四八年三月二〇日付確認書並びに同年八月一〇日付不動産売買契約一部解除契約証書、不動産売買契約書及び確認書、「大津伊香立(堅田(B))土地購入の件(その2)」と題する禀議書、南庄家田土地買収状況図並びに前掲検察官及び弁護人作成の合意書面を作成すれば、被告会社上田建設は、昭和四七年ころから南庄家田土地及びその周辺の土地の売収にとりかかり、そのころ株式会社大林組に対し右土地の買い取りの申入れをし、同社の担当者滝田善左衛門と上田茂男とが交渉を重ねた結果、同社が住宅地開発用にこれを購入することとなり、昭和四七年一二月二八日売買契約が締結されたこと、同社は、当時既に同被告会社がその大半を買収していた中心部一八万三〇〇〇坪余りでも開発が可能であると考えて購入を決定したが、住宅地開発には公共負担金や公的施設の必要性などから約三〇万坪が最適規模であるとしていたため、右中心部にその周辺部約一一万七〇〇〇坪を加えた約三〇万坪につき売主である同被告会社に買収取りまとめを求めることとし、そのうちの未買収遺漏土地すなわちいわゆる虫食い部分をどの程度におさえるかについては特に取極をしないまま、ただ同社が引取る際の一坪当りの単価を平均して一万九〇〇〇円にすることとして、右売買契約締結にあたり、同被告会社との間に、前掲昭和四七年一二月二八日付覚書を取交したこと、右覚書には、売買物件としてその明細の記載のない、ただ大津市伊香立南庄町及び真野家田町地区山林及び農地、公簿約三〇万坪と記したうえ地形図上に赤線で囲んだA部分及びB部分と称する各公簿面積約一八万三〇〇〇坪及び約一一万七〇〇〇坪を掲げ、右物件を被告会社上田建設が株式会社大林組に売り渡すことを約した旨、売買代金は公簿坪当り平均一万九〇〇〇円の割合で算出した金額とする旨及び売買物件の売買については、右覚書とは別に正式不動産売買契約証書を作成する旨の記載があり、他方いわゆる虫食い部分の割合については何ら記載されていないこと、これに伴い、同日右当事者間で、ほぼ右A部分に該当する地番、地目及び地積を明らかにした公簿面積合計一八万三六一一坪を対象とし、売買代金を三一億二一三八万七〇〇〇円(一坪当り一万七〇〇〇円)、右代金は所有権移転登記(農地については所有権移転請求権仮登記申請)の都度その登記対象面積につき右単価により算出した金額を支払い、売買物件については、昭和四八年五月三一日までに全ての物件を引渡す旨を本旨とする前掲昭和四七年一二月二八日付不動産売買契約証書に調印したこと、さらに、同日、前掲同日付附帯覚書(1)を作成し、その骨子として、買主は右売買契約締結と同時に内金として六億三〇〇〇万円を買主名義で売主指定の銀行に預託し、同契約書記載の引渡期限である昭和四八年五月三一日までに買収未了の物件については、右契約を一部解除してこれを完結することができるが、買主は買収未了物件を二万坪以内に納めることを目途として極力買収に努める旨を取極めたこと、その後同被告会社が右売買物件一八万三六一一坪のうち一四万四一九一坪の買収ができこれを株式会社大林組に引渡すことが可能になったため、昭和四八年三月二〇日、引渡すべき右一四万四一九一坪の明細、代金額及び延払利息とその支払方法を確認した、前掲同日付確認書を取交すとともに、同日ころ、右支払方法に従った小切手、約束手形の受渡しと交換に右一四万四一九一坪の登記関係書類の授受がなされ、右土地の引渡しがなされたこと、そして間もなく、右土地につき、所有権移転登記又は所有権移転請求権の仮登記がなされたこと、被告会社上田建設は、前記一八万三〇〇〇坪余りのうちの未引渡分及び前記覚書記載のB部分に該当すると思われる部分についてなお買収を続け、株式会社大林組への引渡が可能となった合計二万六三五一坪(本件南庄家田土地)を昭和四八年八月一〇日に同社に引渡すこととし、ただ買収原価が高くなったことを理由に、前回引渡した一四万四一九一坪についても一坪当り二〇〇〇円、今回分は一坪当り一万九〇〇〇円の単価に一坪当り五〇〇〇円の値上を求め、これに対して株式会社大林組は、二回にわたる買入分の平均単価が一坪当り一万九七〇〇円となるが、未だ覚書にいう一万九〇〇〇円を大幅に超えるものではないとして右値上げに応じることになったこと、そして前記昭和四七年一二月二八日付売買契約では一坪当り一万七〇〇〇円とされていて単価が異なること及び未買収分につき今後の買収の可能性が極めて困難と思われる物件も多く、むしろ同社自身が買収にかかることが望ましいと考えたことから、同日付一八万三六一一坪の売買契約のうち、第一回引渡分一四万四一九一坪を除いた三万九四二〇坪については、何らの精算を行わないまま右契約の一部解除をなす旨記載した前掲昭和四八年八月一〇日付不動産売買契約一部解除契約証書を取交して右契約の一部解除をなしたこと、右解除にかかる三万九四二〇坪のうち一万三八一五坪(ただし、昭和四八年八月一〇日時点では、実測増による地積訂正がなされたものがあったため、公簿上も合計一万四七〇九坪に増加していた。)と、前記昭和四七年一二月二八日付覚書記載の売買物件には含まれると解されるが同日付売買契約書には記載のない土地合計一万一六四二坪とを合わせた前記南庄家田土地二万六三五一坪につき、昭和四八年八月一〇日付で改めて売買契約を結ぶこととし、売買物件は右二万六三五一坪、売買代金として前記値上分を含めた合計九億二〇八〇万六〇〇〇円、物件引渡期日を本契約締結の日とし、その他は前記昭和四七年一二月二八日付不動産売買契約証書の記載に準じた条項のある前掲昭和四八年八月一〇日付不動産売買契約証書に調印するとともに、売買代金及び延払利息とその支払方法を定めた同日付確認書を取交して南庄家田土地の売買契約を締結したこと、同日ころ、右契約の趣旨に則り、売買代金及び延払利息の支払のための小切手及び約束手形と、南庄家田土地の登記手続用書類とを交換して同土地の引渡を完了し、間もなく株式会社大林組は、非農地につき所有権移転登記農地につき所有権移転請求権の仮登記を経由したこと、被告会社上田建設は、その後も南庄家田土地周辺の買収を続け、株式会社大林組に約三万坪の引取方を求めたが、株式会社大林組では、既に南庄家田土地の売買の時点で今後の同土地周辺の売買は単価が高くなり、昭和四七年一二月二八日付覚書で定めた一坪当り一万九〇〇〇円での売買はありえないから、同覚書は事実上効力を失ったものであり、今後引取りの要求があっても必要な部分のみ買受ければよいと考えていたこともあり、また右申入の単価が四、五万円と非常に高かったこともあってこれを断ったことを認めることができる。以上によれば前記覚書においては約三〇万坪の土地について売買契約をなした旨の記載はあるが、売買の目的たる物件についての明細がなく、右売買物件の売買については別個に売買契約書を作成する旨規定されているのであり、買主株式会社大林組としては、前記中心部約一八万三〇〇〇坪が売買の主眼であるとの認識にもとづき、同日付で右一八万坪余りの物件の明細を明らかにした前記不動産売買契約証書による売買契約を締結していることに照らせば、右覚書の内容たる契約は、売買契約そのものではなく覚書記載の物件の範囲内で、同記載の単価での売買の要求が売主側からあれば、買主がこれに応じなければならないとする一種の売買予約の契約と認めるのが相当であり、したがって南庄家田土地の引渡が同覚書に定められた売買契約の単なる一部の履行とみることはできず、同土地の引渡は、昭和四八年八月一〇日付売買契約に基づくものと認めなければならない。以上の認定に反する証人千足幸司及び同大住正次の各供述部分は措信することができない。もっとも、南庄家田土地二万六三五一坪の過半の一万四七〇九坪(昭和四七年一二月二八日付不動産売買契約証書における一万三八一五坪に該当する。)は前記のとおり右昭和四七年一二月二八日付売買契約の売買物件とされていたものであり、ただ単価を引上げた関係から同日付売買契約の履行とすることができないため、便宜上同契約の一部解除と新たな売買契約という手段をとったにすぎず、新売買契約の代金額には先に引渡した土地の単価引上分も含まれていたことに照らせば、実質的には単価の変更契約がなされたものであるから、右昭和四七年一二月二八日付一八万三〇〇〇坪余りについての売買契約がなお効力を有すると見る余地がないではないが、前記認定のとおり、株式会社大林組において一部解除を求めたのは、単に単価改訂だけでなく、当時買収のできていない部分については自ら買収に乗り出し、これを被告会社上田建設に任せていたのを取りやめる意図があったからであり、少なくとも南庄家田土地に含まれない未買収分については真に解除する意思があったと認められ、被告会社上田建設側もこれを十分認識していたものと推認することができ、そして右未買収分のみの解除にとどまらず、南庄家田土地として売買された部分についても同時に一体として解除している事実に照らせば、右一部解除契約はその全体につき実質的にも契約解除の性格をもつものというべきであり、単なる単価改訂の契約ということはできず、したがって前記昭和四七年一二月二八日付売買契約は、一部はその履行により、その余は契約の解除により、その効力を失ったものと解するのが相当である。
そして前記のとおり、南庄家田土地は、昭和四八年八月一〇日付売買に基づき、同日ころその全部の引渡を完了したのであるから、四九年四月期にその収益を売上として計上すべきであり、その金額は前掲昭和四八年八月一〇日付不動産売買契約証書及び確認書並びに「大津伊香立(竪田(B))土地購入の件(その2)」と題する禀議書により六億三二四二万四〇〇〇円であることが明らかである。
以上のとおり、弁護人のこの点に関する主張は理由がなく採用することができない。
三 被告会社上田建設の南庄家田土地の製品売上原価について(弁護人主張の認容)
検察官は、南庄家田土地及びその周辺の土地の売上高に対する原価となるべき、同被告会社の総勘定元帳の未成工事支出金勘定の右土地に関する金額中、振替伝票等を調査しても支出先の判明しない使途不明金が、一〇億〇九九八万六九五〇円にも上るところ、右のうち
昭和四七年一二月三〇日 二〇〇〇万円
昭和四八年 一月三〇日 一二〇〇万円
同年 二月二八日 四五五〇万円
同年 四月二七日 二六五〇万円
同年 五月三〇日 六五〇万円
同年 六月三〇日 一八五〇万円
同年 七月三〇日 四五〇万円
同年 八月三一日 四四二〇万円
同年一〇月三一日 一九〇〇万円
同年一一月三〇日 四五〇〇万円
同年一二月三〇日 一一〇〇万円
昭和四九年 一月三一日 一二〇〇万円
同年 二月二八日 二〇〇〇万円
同年 三月三〇日 二〇五〇万円
同年 四月三〇日 四二五〇万円
の合計三億四七七〇万円については、対応する振替伝票の相手勘定科目(貸方)がいずれも社長借入金とされていて、その資金源も明らかでなく、架空の経費の計上であると主張する。
これに対し、弁護人は、南庄家田土地及びその周辺の土地のように広大な土地を多数の所有者からまとめて買上げようとする場合には、地主や地域の有力者、世話役等にいわゆる裏金を出す必要があり、右三億四七七〇万円もすべて裏金として現に支払われたものであるから経費として認められるべきであると主張する。
そこで、この点につき検討するに、前掲証人渡辺芳春及び同大住正次の各供述、前掲渡辺芳春(昭和五一年六月二九日付)及び大住正次(同月二一日付)の検察官に対する各供述調書、押収してある振替伝票綴一七冊(昭和四七年一二月分ないし昭和四九年四月分)並びに被告会社上田建設の第一八期及び第一九期各総勘定元帳によれば、前記三億四七七〇万円については、いずれも振替伝票に借方科目未成工事支出金、貸方科目借入金、摘要欄に社長よりとの記載がなされていること、右振替伝票は、当時被告両会社及び前記伊吹建設株式会社等の土地の買収を一手に担当していた上田市之進(当時伊吹建設株式会社社長で上田茂男の信任が厚かった、故人)のメモに基づき、経理部長の大住正次が毎決算期にまとめて記載していたというのであり、経理担当者に支払の事実が知らされることはなかったこと、そのため経理担当者の渡辺芳春は税務調査の際に困るのではないかと右大住に質したところ、同人が「社長が税務署に説明することになっているからよい」と答えたことがあったこと、右渡辺は、社長借入金の金額がそっくり未成工事支出金として処理されている、毎決算期末に一括して計上されている、会社の資金の支払として処理されるべきであるのに一切経理を通していない、多くが数千万、数百万単位の端数のない金額であるなどの事情から、社長借入金を相手方科目とする未成工事支出金勘定は架空の原価の計上だと思っていたことを認めることができ、さらに、前掲合意書面によれば、被告会社上田建設が四九年四月期末までに買収した南庄家田土地及びその周辺土地の契約書上の売買代金総額二三億〇五五五万二九〇〇円に対する、圧縮額の合計一億二九八三万九四〇〇円と使途不明金一〇億〇九九八万六九五〇円との合計一一億三九八二万六三五〇円の割合は、四九・四パーセントもの高率になることが認められ、裏金の比率としては多過ぎる数値と感じられることや、弁護人の立証も結局地主東悟の分について検察官主張の額を上回る数字であることを明らかにしたにとどまり、その余の立証がなされなかったことを考え合わせると、前記三億四七七〇万円が全部裏金の支払に当てられたとするには多大の疑問が抱かれるのである。しかしながら、土地の買収のために、所有者や地域の有力者等に対し裏金が支払われることはままあることであり、南庄家田土地につき現に裏金が支払われていることは検察官もまた認めるところであって、証拠上も明らかであるが、その性質上領収書等の授受がなされないことも多く、当事者が口を閉ざすことも想像するに難くなく、前掲合意書面と証人東悟(第五八回)、同龍一之進及び同塚本寿雄(いずれも第五一回)の各公判調書中の各供述並びに鈴鹿一夫、倉田勘十郎及び塚本寿雄ら南庄家田土地関係の各売主等の各供述調書を照合すると、裏金の額はその多くが契約売買代金の二割前後であるが、右鈴鹿、倉田及び塚本らに関しては五割を超えていることが明らかであり、さらに上田茂男が支払ったとされる裏金の資金源とその量につきこれを否定しうるだけの根拠もなく、検察官の認める東誠造ほか二一名に対する合計一億二九八三万九四〇〇円以外に四九年四月期までに支払われた裏金が全くないとする十分な証拠は存在しないのである。そうすると、前記三億四七七〇万円が、全く裏金として支払われていないと断定するには躊躇せざるを得ない。結局右三億四七七〇万については、その悉くが裏金として支払われたとするには多大の疑いが抱かれるものの、さりとて右金額について経費としての支払が全くなされていないと積極的に認定できるだけの十分な証拠があるとはいえず、したがって、本件三億四七七〇万円に関しその全額が架空計上であるとの検察官の主張は未だ証明されておらず、定額で表示できる一部に架空計上があるとの証明もなく、その結果として前記三億四七七〇万円の全額が裏金として現実に支出されたとする弁護人の主張を認容することとする。
そして以上のとおり、使途不明金全額を経費と認めることとなるが、前掲合意書面によれば、別紙5南庄家田土地経費明細記載の「買入経費」及び「土入費用」とともにどの土地に対応する経費なのか不分明であるから、これら合計額一〇億三二四七万〇二九二円を、昭和四七年五月一日から昭和四八年四月三〇日までの事業年度(以下四八年四月期という。)売却分(前記二で認定した昭和四八年三月二〇日引渡分)、四九年四月期売却分(南庄家田土地分)及び残土地分とにその坪数に応じて按分配賦すると、四九年四月期売却分には同別表のとおり、一億二六三七万三一五九円が配賦されることとなり、右合意書面により明らかな、右四九年四月期売却分についての契約書上の買入額及び圧縮額とを合算すれば、同期売却分すなわち南庄家田土地の製品売上原価は合計四億二一六一万七二五九円となる。
四 被告会社上田建設の受取利息について
弁護人は、右受取利息については、前記二の南庄家田土地及びその周辺土地の売買代金に対する延払利息であって、前期二において、弁護人が主張したとおり、右延払利息の基礎となるべき売上自体が取引未完結により未実現の状態であるから、右延払利息も収益として実現しておらず、したがって四九年四月期には受取利息として計上すべきではないと主張するので、この点につき検討するに、右主張は、それ自体が会計原則上の妥当性の見地からみて極めて疑問であるのみならず(同被告会社の経理担当者大住正次も証人として、右のごとき取引未完結の場合であっても延払利息を現に受領した時点で受取利息又は雑収入として経理処理すべきであり、同被告会社も従前そのように経理処理してきた旨証言している。)前記二において検討したとおり、本件南庄家田土地及びその周辺土地の取引は既に完了したものと認められるのであるから、その前提事実を欠くものであって失当といわなければならない。そして、右受取利息に関しては、前掲証人滝田善左衛門の供述、昭和四八年三月二〇日付及び同年八月一〇日付各確認書により、同年六月二〇日から昭和四九年四月一〇日までの間一〇回にわたり総額五六三四万五二〇二円が各手形の決済により収益として実現したことが認められるのであるから四九年四月期に受取利息として右金額を計上すべきであるといわなければならない。
五 被告会社上田建設の向日町土地の売上高及び製品売上原価、固定資産売却益並びに買換資産繰入損について
検察官は、同被告会社がモリカワ商事株式会社に対し、昭和四七年一一月三〇日付売買契約により売却したたな卸資産である京都府向日町寺戸町笹屋三九番宅地はじめ同町所在の二七筆公簿面積合計三二五七・六坪の土地(以下向日町土地という。)については、同年一二月三〇日代金完済と引換にその引渡がなされたものであるから、四八年四月期において売上として計上すべきであるのに、同被告会社は、四八年四月期には向日町土地の引渡が未了であるとして売上に計上せず未成工事受入金として処理して売上を繰延べたうえ、同期末において同土地につきたな卸資産としての未成工事支出金勘定から固定資産勘定である土地勘定に振替え、ついで四九年四月期において同土地の引渡が完了したとして、そのうち一五〇二・七三坪については固定資産の売却として固定資産売却益二億五二一七万七二〇八円を、その余についてはたな卸資産の売却として売上高三億七八一七万四〇〇〇円及び製品売上原価五一二四万六三二六円を各計上するとともに、右固定資産売却分につき、京都市左京区に建設中であった同被告会社の事務所用のビル(以下京都ビルという。)が翌事業年度内に完成引渡を受けてその事業の用に供される見込であるとして租税特別措置法にいう特定の資産の譲渡に伴い特別勘定を設けた場合の課税の特例により圧縮記帳を行い、特別勘定である買換資産繰入損勘定に二億五一九八万円を計上して損金処理したものであって、したがって右固定資産売却益、売上高及び製品売上原価はいずれも四九年四月期に計上すべきではなく、また右買換資産繰入損についてもその要件を欠くので否認すべきであると主張し、これに対して弁護人は、向日町土地の前記売買契約においては、同土地の引渡時期につき昭和四八年六月末日とする旨の特約があり、しかも実際に引渡を完了したのは同年七月であったから、その収益については四八年四月期にではなく四九年四月期に計上すべきであり、また同土地上には、そのうち一五〇二・七三坪を敷地とする、倉庫及び同被告会社従業員である管理人夫婦居住の住宅、同被告会社運転手の居住し営業の用に供されていた現場事務所、大工小屋及びブルドーザー等の機械置場があって、これらはいずれも同被告会社の事業用資産であり、また右建物は固定資産として経理処理されてきたものであるから、その敷地部分も元来固定資産に属するものであり、したがって前記租税特別措置法による圧縮記帳の要件を充たしている旨主張する。
そこでこの点につき検討するに、前掲証人谷口善良、同森茂生、同千足幸司及び同大住正次の各供述並びに前掲被告会社上田建設、モリカワ商事株式会社間の昭和四七年一一月三〇日付不動産売買契約書、モリカワ商事株式会社名義の同日付念書、被告会社上田建設の昭和四九年四月分振替伝票綴、固定資産台帳、第一五期、第一六期、第一八期及び第一九期各総勘定元帳並びに決算書類綴によれば、向日町土地を含む付近一帯の土地は、同被告会社が宅地造成したうえ以前からいわゆる建売住宅として四九年四月期に至るまで販売を続けてきたもので、向日町土地は右付近の土地と同様に宅地造成がなされており、これと一体となって数区画からなる住宅団地を構成し、向日町土地の大部分は右団地への進入路に最も近い部分を占めていること、向日町土地の上には、弁護人主張のように、現場事務所、倉庫、管理人用宿舎、大工小屋等の建物があり、また機械類や材料の置場となっていた部分もあって右建物の敷地部分や材料置場の占める部分は向日町土地の四〇パーセント余りであったが、右各建物は、管理人用宿舎を除きいずれもプレハブ様の簡易な建物で、容易に撤去が可能であったこと、右建物のうち少なくとも現場事務所及び管理人宿舎については固定資産として経理処理していたが、向日町土地については四八年四月期末に至るまで未成工事支出金勘定で処理していたこと、本件売買は、上田茂男が、前記森茂生に対し、向日町土地を一括して買ってくれるところがあったら売ってもよい旨述べて、同土地の売買の仲介を依頼したことから、右森と、買受けを望んだモリカワ商事株式会社の担当者である谷口喜良専務とが交渉を重ねて話がまとまり、昭和四七年一一月三〇日契約書に調印することになったこと、同日調印された前掲同日付不動産売買契約書には、第二条「売買代金には買主が売主に指定した宅地造成工事および建物布基礎工事代金を含む。」及び第五条「売買物件の所有権は、前条の所有権移転登記申請の手続きにかかわりなく宅地造成および建物布基礎の工事完了をもって移転することを売主、買主共に確認する。」との条項が入れられているが、向日町土地は既に宅地造成がなされていて工事が必要な状態でなく、また買主から宅地造成、建物布基礎工事を望んだ事実もないのに、上田茂男が右両条項を契約書に盛込むよう森に対し強硬に要求した結果、右契約条項ができたものであり、モリカワ商事株式会社側では右両条項とも実質的な効力をもつものではないと認識していたこと、ただ同社としては購入した同土地を分譲宅地あるいは建売住宅として直ちに販売活動に入りたい意向であったため、右約定がその障害とならないよう、代金完済と同時に所有権が移転する旨記載した一札を被告会社上田建設から貰いたいと森に申入れたが断わられ、結局同人の指示によりモリカワ商事株式会社から同被告会社に宛てた念書を差入れることになったこと、前掲昭和四七年一一月三〇日付念書は、同日付不動産売買契約書に調印した際、森が起案して持参した用紙にモリカワ商事株式会社の担当者谷口喜良が記名押印して同被告会社の千足幸司に渡したものであり、右調印の場には上田茂男も臨席していたこと、右念書には、売買代金には宅地造成工事、建物布基礎工事は含まれておらず、同被告会社の工事負担が一切ない現状有姿のままの取引であることを確認する旨、及びモリカワ商事株式会社側では売買代金受渡と同時に売買物件の所有権を取得したとの帳簿処理をする旨記載されていること、なお前記不動産売買契約書の第一〇条には「売買物件の建物および構築物については、売主において徹(撤)去することができる。但し、売主において特別の申出のあるものを除き昭和四八年六月末日までに残存せる建物および構築物は買主において使用収益することができる。」との条項が記載されているが、売買物件の引渡期限を同日とする旨の条項は右契約書に存在しないこと、そして、昭和四七年一二月三〇日、モリカワ商事は残代金を支払って売買代金を完済し、同時に被告会社上田建設から登記手続の必要書類の交付を受け、翌昭和四八年一月中に所有権移転登記を経由したうえただちに販売活動に入り、同年二月には最初の売上が出たこと、ところで、被告会社上田建設では、向日町土地の売買契約にあたり、京都ビルを建設することが既に決っていたことから、同土地売却につき前記租税特別措置法による圧縮記帳ができるとの判断のもとに右売買契約の締結に踏み切ったものであるが、右京都ビルについては昭和四八年四月二七日手付金一億円を支払って建設工事を請負わせたこと、また四八年四月期末には同被告会社は、前記向日町土地の売却の原価となるべき未成工事支出金勘定の九二三二万〇四四五円を、前記建物等の敷地部分か否かを区分することなく一括して固定資産たる土地勘定に振替えたこと、そのころ、向日町土地上の建物等のうち現場事務所はモリカワ商事株式会社に譲渡され、また管理人夫婦の居住する居宅はなお残っていたが、その余の建物や機械類、材料等は既に収去されていたこと、そして同被告会社は、四九年四月期において、検察官の主張するとおり、右土地勘定に振替えたうちの帳簿価格四一〇七万四一一九円の土地及び帳簿価格九万四六七三円の前記建物を、代金二億九三三四万六〇〇〇円で売却したとして固定資産売却益二億五二一七万七二〇八円を計上し、これについては昭和四九年六月に京都ビル及び同ビルに使用する什器備品を取得する予定として圧縮記帳を行い、買換資産繰入損勘定を起して二億五一九八万円を計上して損金処理をなし、また向日町土地の売買代金六億七一五二万円と前記固定資産売却代金二億九三三四万六〇〇〇円との差額三億七八一七万四〇〇〇円を売上高に計上するとともに、その製品売上原価として五一二四万六三二六円を計上したことを認めることができる。右認定に反する証人千足幸司及び同大住正次の各供述部分並びに上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月八日付供述調書は措信できない。
以上によれば、前期向日町土地の売買は、代金完済と引換に登記必要書類が売主から買主に受渡されるとともに同土地の引渡が完了するものであることを当事者及び仲介人が十分に認識していたものであって、そのとおりの契約内容であったと解すべきであるが、前記不動産売買契約書の第二条及び第五条は、上田茂男が向日町土地の売買に関して前記圧縮記帳の適用を受けるため、同土地の所有権移転時期を、全く行う意思のない宅地造成工事等の完了の時とすることにより、代金が完済され所有権移転登記が終ってもなお引渡が完了していないように仮装した契約条項であって、何らの効力も生じないというべきであり、また、前記契約書第一〇条については、契約前後の事情からも文理上からも単に建物等の撤去のための猶了期間を定めたにすぎないと解するのが相当であり、同条を売買物件の引渡期限を定めたものと解する余地はなく(なお、弁護人は、同条を根拠に、同被告会社が地上建物の占有を最終的に解いた時、具体的には管理人夫婦が前記管理人宿舎を明渡した時をもって引渡しが完了すると主張するかのようであるが、そのような解釈がとりうるか極めて疑問であるのみならず、仮に右主張のように解するとしても、前掲証人千足幸司及び同大住正次の各供述によれば、管理人夫婦は、京都ビルが完成した昭和四九年七月ごろ、向日町の右宿舎から同ビルに移転したことが認められ、したがつて四九年四月期末においては、未だ向日町土地に居住していたのであるから同土地の引渡は完了していなかったこととなり、同被告会社は同期において向日町土地の売却につき、固定資産売却益も売上高も計上すべきではなく、これに基づく買換資産繰入損及び製品売上原価も計上することはできなかったものといわなければならない。)したがって、本件売買については、代金が完済され、登記手続用書類が買主に受渡された昭和四七年一二月三〇日に引渡が完了したものであって、四八年四月期においてその収益を売上として計上しなければならなかったといわなければならない。そして、そうである以上、仮に弁護人主張の建物敷地部分等が固定資産であるとしても(この点については、向日町土地が、当初はその周辺土地と同様のたな卸資産であったこと、これらが一体の団地となるよう宅地造成されており、売買契約当時にもその一体性を失っていなかったこと、向日町土地の大部分が右団地の入口部分にあたること、地上建物は、いずれも建売住宅の建築、販売管理等事業用に使用されていたこと、そのほとんどが簡易なプレハブ様の物であったことに照らせば、建売用の商品たる土地のうち、さしあたり直ちに住宅を建築して販売する予定のない遊休部分に、一時的に建物等を建ててこれらを事業の用に供していたと見るのが相当であり、右建物敷地部分等もなおたな卸資産であったと解すべきであろう。)、翌事業年度以降に取得予定の資産に関し、前記圧縮記帳をするためには、四八年四月期において所定の経理処理をすべきところ、同被告会社が同期において右経理処理をしていないことは証拠上明らかであり、したがって向日町土地の売却については前記圧縮記帳の要件を欠くものといわなければならない。
以上のとおり、向日町土地の売買については、検察官主張のとおり、四九年四月期に計上された固定資産売却益二億五二一七万七二〇八円及び売上高三億七八一七万四〇〇〇円を減額し、製品売上原価五一二四万六三二六円及び買換資産繰入損二億五一九八万円を否認しなければならず、弁護人の主張は採用することができない。
六 被告会社上田建設の債務免除益について
弁護人は、同被告会社が株式会社青木建設に対して負担する、京都市右京区(現西京区)大枝沓掛所在の仏舎利苑墓地造成工事請負代金債務の未払金一八九二万円については、四九年四月期中に同社から債務免除を受けた事実はないから、同期において債務免除益として右金額を計上すべきではないと主張するので、この点につき検討するに、前掲証人大住正次の供述、前掲上田建設株式会社の決算書類綴及び第一八期総勘定元張並びに前掲丸尾哲夫の検察官に対する供述調書によれば、仏舎利苑墓地造成工事は昭和四五年に完成し直ちに被告会社上田建設に引渡されたが、その時点で、請負代金総額二億八〇〇〇万円のうち一八九二万円が未払の状態であったこと、昭和四八年三月下旬に株式会社青木建設大阪支店事務部長となった丸尾哲夫は、長期間未収となっている右請負代金について解決をはかるため、この点を調査したところ、右未収金については、同被告会社側では完成有効面積が設計より減っている関係もあって支払ってくれそうにないとの話であり、また、右工事については請負代金三〇〇〇万円の追加工事が契約されたが、契約書を作成しなかったため株式会社青木建設側は帳簿に計上していなかったところ、右追加工事分についても未収であることが判明したこと、そこで同人は、同社では右一八九二万円及び三〇〇〇万円の同被告会社に対する各未収金残高があるが、これに違いないかどうか照合して回答されたい旨同被告会社に求めた残高確認依頼書を作成して、昭和四八年五月一四日ころ、これを同被告会社事務所に持参し、当時同被告会社の総務部長であった榎本正次に事情を説明したうえ回答を求めたこと、しかし同被告会社からの回答がなかったため、前記丸尾は右榎本に一、二度催促したが結局回答を得られなかったこと、そのため右丸尾は同被告会社に右各未払金を支払う意思がないものと考え、帳簿上残高のある一八九二万円につき、昭和四九年三月三〇日付で有効面積減少による同額の補償金債務があるとして、これと右未収金債権とを相殺処理したこと、他方被告会社上田建設では、それまで何ら右未払金を計上していなかったにもかかわらず、昭和四八年四月三〇日付で右二口合計四八九二万円の未払金を計上してこれを未成工事支出金に充当するとともに、同日付でこれを製品売上原価に振替え、四八年四月期において損金処理したこと、そして、四九年四月期中に株式会社青木建設からの、債務免除あるいは補償金債務との相殺処理をした旨の通知がなされていないとして同期末において右未払金勘定につき何らの処理もしなかったことを認めることができる。そして右事実関係によれば、同被告会社としては、前記工事完成により引渡を受けた時点で未払金を計上すべきであるにもかかわらず、昭和四八年四月三〇日に至るまで約三年の間未払金を計上せず、また株式会社青木建設からの残高確認に対して何らの回答もしなかったものであって、一貫して右未払金につき支払う意思がなかったものと解される。それにもかかわらず四八年四月期末に未払金を計上したのは一見極めて不自然のごとくであるが、前掲証人大住正次及び同渡辺芳春の各供述から明らかなとおり、同被告会社では、総勘定元帳への記入は決算期にまとめてすることになっており、しかも年度末たる毎年四月三〇日までの取引につき、補助簿や伝票類を照合整理したうえでするため元帳への記入が五月あるいは六月中になされることに照らせば、前記株式会社青木建設からの五月一四日付残高確認依頼書を見たうえで、これを奇貨とし、四月三〇日に遡って売上原価として計上して損金処理をはかったものと推認するのが合理的であり(したがって同被告会社としては支払の意思のない未払金をもって売上原価の計上をしたものであるから、実質的には架空原価の計上であるというべきであるが、しかしながらそのうち一八九二万円の分については、当時株式会社青木建設では同額の未収金があるとの経理処理をしていたのであるから、同被告会社に未払金債務が存在しなかったとは断言できず、これをもって架空原価の計上と評価することは妥当ではない。)そして同被告会社は、残高確認の回答をしなかったことによりその支払をする意思がないことを表明したものと解すべきである。そうすると、同被告会社において株式会社青木建設が右債権を放棄することになるであろうと認識していたことは容易に推認することができるのである。しかも株式会社青木建設では右認定のとおり昭和四九年三月三〇日付で一八九二万円分につき実質的な債権の放棄をしているのであるから、右経理処理についての株式会社青木建設からの通知がなかったとしても、同被告会社においては、右のとおり支払の意思のないことを表明した四九年四月期において、少なくとも一八九二万円の債務免除益を計上すべきであるといわなければならず、弁護人の右主張は採用することができない。
七 被告会社大和不動産の大塚土地の売上原価について
弁護人は、同被告会社が滋賀県土地関発公社に対し、昭和四八年九月一〇日付売買契約によって売却した、大津市上田上平野町字大塚五六三番保安林ほか同町及び草津市南笠町所在の一三筆公簿面積合計九二四一坪の土地(以下大塚土地という。)の売上原価については、同被告会社としては以下の事情により後の事業年度において精算修正することを前提として、昭和四八年一〇月一日から昭和四九年九月三〇日までの事業年度(以下四九年九月期という。)においては暫定的な額を計上したものであって、決して売上原価を過大に計上したものではない、すなわち、同被告会社は、その所有にかかる大塚土地及び同土地周辺の公簿面積合計一万三〇六一坪の土地を一体として滋賀県土地開発公社に譲渡することとなったものの、同公社の資金事情から大塚土地だけを売買契約により、その余は交換の形式によって譲り渡すこととし、さらに交換により同被告会社が同公社から取得すべき土地については同被告会社の負担で同公社の「びわこニュータウン造成計画」に基づく造成工事をなす特約がなされたものであるところ、右売買及び交換契約は一体の契約であるから、売買の対象である大塚土地の売上原価も、右交換にかかる土地の造成工事費用等が判明しなければ確定できないため、これら費用を見越した原価を四九年九月期において暫定的に計上し、右交換土地を造成工事完了により取得した時点で改めて全体の原価を確定したうえで、大塚土地の売上原価を修正する予定であったものであり、これをもって売上原価の過大計上ということはできないと主張する。
しかしながら、右主張自体の正当性が疑問であるのみならず、前掲証人大住正次の供述、前掲被告会社大和不動産、滋賀県開発公社間の昭和四八年九月一〇日付土地売買契約書写及び土地交換に関する契約証書写並びに前掲大住正次(昭和五一年六月一一日付、同月一三日付、同月一四日付-二通-及び同月二九日付)及び上田茂男(同年七月一二日付)の検察官に対する各供述調書によれば、同被告会社と同公社の間で、昭和四八年九月一〇日、大塚土地の売買契約及び弁護人の主張のとおりの造成工事に関する特約のある土地交換契約がそれぞれ締結され、その際右各契約につき前記土地売買契約書及び土地交換に関する契約書が各別に作成されたこと、右売買契約書には、大塚土地のうち、草津市南笠町所在の三筆公簿面積合計五二五〇坪については公簿取引とし、その余の公簿面積合計三九九一坪については実測一万二〇〇〇坪とする実測取引とされていること、大塚土地は、右売買契約に基づき遅くとも昭和四九年三月三〇日までに公社に引渡されたこと、同被告会社は大塚土地につき、四九年九月期中の同年三月三〇日付で、売上高として契約書記載の売買代金額八億二四五五万円を計上するとともに、その売上原価として六億二七〇〇万円を上げたこと、右六億二七〇〇万円は、実測取引分につき一坪当り四万円に一万二〇〇〇坪を乗じた四億八〇〇〇万円と、経理責任者大住正治も算出経過の記憶の曖昧な公簿取引分一億四七〇〇万円(むしろ端的に一坪当り二万八〇〇〇円に五二五〇坪を乗じて算出したと推認される。)との合算額であることを認めることができ、右によれば、大塚土地の右売買契約は形式上はもちろん、実質的にも独立した一個の契約であり、しかも遅くとも昭和四九年三月三〇日までに買主への引渡を完了しているものであるから、当然に四九年九月期に売上計上すべき取引であり被告会社大和不動産としても同様に認識していたことは、現に同日付で大塚土地の売却を売上に計上していたことからも明らかであり、そして右のとおり売上計上する以上、右売上に対応する売上原価を計上しなければならないことはいうまでもないところ、前掲合意書面によれば、大塚土地の実際原価は二億三七四五万〇二四九円であること及び同土地の売却にあたり実測取引とされた公簿面積合計三九九一坪の土地のうち同二六七一坪は、同被告会社が協和興業株式会社から購入したもので、その代金単価は公簿面積一坪当り四万円であったことが認められ、これに照らせば、同被告会社は大塚土地の売上原価を計上するにあたり、その実際額とかかわりなく、公簿面積一坪当りの単価四万円に売上実測面積一万二〇〇〇坪を乗じて算出した額に前記一億四七〇〇万円を加算した六億二七〇〇万円という何ら事実上の根拠のない数字を掲げたものといわなければならず、したがって右金額と実際原価との差額三億八九五四万九七五一円は過大計上額であって否認すべきものと解しなければならない。そして、この点につき、上田茂男は、昭和五一年七月一二日付の検察官に対する供述調書において、実測一万二〇〇〇坪で売れた土地の原価としては公簿面積一坪当りの単価に実測面積を乗じて算出すべきであると考えている旨述べていて、実際原価を上回る過大な原価を計上することを十分に認識していたものと認められ、しかも、大住正次の検察官に対する各供述調書を見ても公簿上の単価に実測面積を乗じた理由が述べられておらず、右のうち昭和五一年六月一四日付三丁綴の供述調書において、かえって右単価に公簿面積を掛けなければならないことは判っていると述べていることに照らすと、上田茂男が大住に対し右のごとき過大な売上原価の算出計上を指示したものと推認でき、したがって大塚土地の過大原価の計上は、上田茂男が法人税ほ脱の意図をもってなした不正な行為といわなければならない。弁護人の主張は採用することができない。
八 被告会社大和不動産の右京区土地の売上高及び売上原価について
弁護人は、同被告会社が山口八重に対し、昭和四八年一〇月一一日、同人に対する売買代金債務の一部につき代物弁済に供した、京都市右京区御陵池ノ谷一七、一八及び一八丙の各山林地債合計九〇九坪の土地(以下右京区土地という。)については、右取引の担当者との連絡が不十分で、しかも代物弁済のため現実の入金がなかったことから経理担当者が不注意で売上計上をしなかったものであって、決して法人税ほ脱の意図に基づく不正な行為とはいえず、またそのことは、左代物弁済により得た利益が一三六万五〇〇〇円という僅かな額であることからも明らかであると主張するので、この点につき検討するに、前掲証人千足幸司、同渡辺芳春及び同大住正次の各供述、前掲大蔵事務官作成の査察官調査書及び被告会社大和不動産の第九期総勘定元帳並びに前掲渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月一三日付及び同月二九日付各供述調書によれば、同被告会社は右京区土地につき、同前日(即ち昭和四八年一〇月一一日)付で売上に振替えるべき仮勘定である未成工事受入金勘定に計上していること、総勘定元帳への記入は渡辺芳春らが担当していたが、決算期において未成工事受入金に計上したうちのどれを売上に振替えるべきかは記帳者にはわからないため、経理部長大住正次にその明細を知らせ、同人が上田茂男との相談のうえ売上計上すべき取引を右渡辺らに指示し、同人らがこれに基づき売上高への振替をしており、未成工事支出金勘定と売上原価との関係においても同様の処理をしていたことが認められ、以上によれば、取引担当者との連絡不十分とか入金のないことを理由にあげる弁護人の主張は、右のとおり未成工事受入金として計上されていることに照らして不合理であるといわなければならず、また上田茂男及び大住正次においては、右京区土地の取引が未成工事受入金として計上されていることを知りながら、ことさらに売上に計上させなかったと認めなければならず、さらに第六五回公判調書中の証人大住正次の供述部分によれば、売上不計上の理由につき同証人はまことに曖昧な証言に終っていることをも考え合わせれば、右京区土地の売上を計上しなかったことは、法人税ほ脱の意図に基づく不正な売上の繰延べであると認定しなければならない。右認定に反する証人大住正次の供述は信用することができず、また右取引による利益が、他の売上繰延の場合に比べて金額が小さいからといって右認定を左右するものとはいえず、したがってこの点に関する弁護人の主張は採用することができない。なお、右京区土地の売上高として一五〇〇万円、その売上原価として一三六三万五〇〇〇円であることは前記査察官調査書により明らかである。
九 被告両会社の価格変動準備金繰入及び被告会社上田建設の価格変動準備金戻入について
弁護人は、被告会社上田建設に対し、昭和五一年八月一一日付で長浜税務署長がなした青色申告承認の取消処分は、同被告会社が四八年四月期の確定申告に際し、向日町土地の売上収益を故意に繰延べ過少申告したことを理由とし、被告会社大和不動産に対し同日付で同税務署長がなした青色申告承認の取消処分は、同被告会社が四九年九月期の確定申告に際し、大塚土地の売上原価を過大に計上し、右京区土地の売上収益を故意に繰延べ過少申告したことを理由とするものであるが、弁護人が五、七及び八において主張するとおり、右取消の理由とされた各事実は存在しなかったものであるから、右各取消処分はいずれも理由がない違法無効なものであり、また青色申告承認の取消処分をするにあたっては、国税庁、国税局職員の調査に基づきこれをなす必要があるところ、本件各取消処分に際しては国税局職員らによる被告両会社関係者に対する質問検査は一切行われていないのであるから、同職員らの調査に基づかないで右各取消処分がなされたものであって、いずれも所定の手続を欠いた違法無効な処分であり、さらに、仮に右各取消処分が有効であるとしても、価格変動準備金繰入については税ほ脱の犯意がなかったものであるから、いずれにしても被告両会社の価格変動準備金繰入は否認されるべきではないと主張する。
そこでこの点につき検討するに、向日町土地につき四八年四月期における不正な売上繰延があったこと、四九年九月期において、大塚土地につき過大な売上原価の計上があったこと及び右京区土地につき故意による売上繰延がなされたことは、前記五、七及び八において判断を示したとおりであって、したがって前記各取消処分が取消事由のない違法無効なものということはできず、また取消処分の手続要件である国税局職員らによる調査は、いかなる方法によるべきかについては何ら規定されておらず、同職員らの適当と認める方法でなされれば足り、必ずしも常に関係者に対し質問検査をしたうえでてん末書を作成しなければならないものではないと解すべきところ、証人指態悟の当公判廷における供述によれば、大阪国税局査察部において法人税法犯則嫌疑事件として、また大津地方検察庁でも法人税法違反被疑事件として各立件し、国税局では専ら証拠物等の読み切りを、検察庁では関係者の身柄拘束及びその取調を担当する合同調査をなしたうえ、その結果判明した被告両会社の各青色申告承認の取消事由に関する資料を、同国税局査察部から長浜税務署長に対して送付し、同税務署長はこれによって被告両会社に対し前記青色申告承認の各取消を通知したことが認められ、右によれば、国税局職員による関係者に対する質問がなく、その質問てん末書が作成されていないとしても、右各取消処分は調査に基づいてなされたものということに変りなく、何ら手続違背は認められないのであるから、これをもって違法無効なものとすることはできない。
さらに、法人の代表者等が、その法人税を免れる目的で、売上の繰延や架空売上原価の計上などによりその帳簿書類に取引の一部を隠ぺいし又は仮装して記載するなどして所得を過少に申告するほ脱行為は、青色申告承認の制度とは根本的に相容れないものであるから、ある事業年度の法人税額についてほ脱行為をする以上、当該事業年度以降の確定申告にあたり右承認を受けたものとしての税法上の特典を享受する余地はないのであり、しかもほ脱行為の結果として後に青色申告の承認を取り消されるであろうことは行為時において当然認識できることであるから、右のごときほ脱行為があって、その後その事業年度の初めに遡ってその承認を取り消された場合における当該事業年度以降のほ脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した法人税法所定の法人税額から申告にかかる法人税額を差引いた額であると解すべきところ、前記五、七及び八並びに後記一〇で認定のとおり、被告両会社の代表者である上田茂男は、被告両会社の業務に関し不正の行為をなして法人税のほ脱をなしたものであり、また、前掲長浜税務署長作成の証明書二通並びに被告会社上田建設の四九年四月期及び同大和不動産の同年九月期各法人税確定申告書謄本によれば、昭和五一年八月一一日付で同税務署長から被告両会社宛、被告会社上田建設につき四八年四月期以後、同大和不動産については四九年九月期以後の青色申告承認の各取消をする旨通知がなされたこと及び被告会社上田建設は四九年四月期において価格変動準備金戻入二億五〇〇〇万円、同繰入二億六八七三万円、被告会社大和不動産は同年九月期において同繰入一億三五〇〇万円を各計上していることが認められ、以上によれば、被告会社上田建設が四八年四月期において価格変動準備金二億五〇〇〇万円を計上したこととともに、同被告会社の四九年四月期及び被告会社大和不動産の同年九月期における右各価格変動準備金繰入の計上行為は、その行為者の具体的な認識内容にかかわらず、いずれも不正行為として否認すべきであり、したがって被告会社上田建設については四九年四月期に計上した価格変動準備金戻入二億五〇〇〇万円をも減算すべきであるといわなければならず、結局弁護人の主張は採用することができない。
一〇 上田茂男の実行行為と犯意について
弁護人は、上田茂男は被告両会社の代表取締役ではあったが、その業務を統轄掌理していたものではなく、専ら不動産の買手を見付けることと不動産買収等の資金の調達とを担当していたにすぎず、各取引の詳細については関知するところではなく、経理処理や決算手続についても経理担当者に任せきりで何ら関与したことはないのであって、被告両会社の法人税及び会社臨時特別税を免れようと企てたこともなければ、不正な行為をなしたこともないと主張するので、この点につき検討するに、前掲上田茂男の当公判廷における供述、証人千足幸司、同渡辺芳春及び同大住正次の各供述並びに前掲上田茂男(昭和五一年六月二五日付及び同月二八日付各謄本)、渡辺芳春(七通)及び大住正次(同月九日付、同月一〇日付及び同月二七日付)の検察官に対する各供述調書によれば、被告両会社及び伊吹建設株式会社はいずれも上田茂男が設立した会社で、同人が右三社の株式を各一〇〇パーセント所持しており、本件当時被告両会社の代表取締役は同人であり、伊吹建設にあっては同人のいとこである上田市之進が代表取締役となっていたこと、右三社は一応独立の法人として経理手続は各社別個に行われていたが、その日常業務はいずれも当時の被告会社上田建設の京都支店において主に行われており、役員や従業員は右三社のいずれの業務をも担当していたのであって、営業活動上は三社の明確な区分はなかったこと、右三社とも経営の実権を掌握していたのは上田茂男で、営業取引上の最終決定権を一手に握っていて、伊吹建設株式会社の代表取締役となっていた上田市之進でさえ、上田茂男の意に反して権限を行使することはできなかったこと、上田茂男は三社の小切手の振出を他に委ねたことはなく、経理部長大住正次が金額等必要事項を記した小切手に必ず自ら届出印を押捺していたもので、日常必要な少額の経費を除き、右三社の資金の支出はすべて同人が把握し、その許否を決定していたこと、決算手続にあたっては、主として経理課長渡辺芳春が記帳した総勘定元帳中の未成工事受入金及び同資出金勘定の写などをもとに経理部長大住正次が上田茂男と相談のうえ当期に売上として計上すべき取引と売上高、これに対応する売上原価の額を決定したうえこれを右渡辺に指示し、同人がこれに従い決算案及び確定申告書を作成し、これらを右大住が、時に渡辺を伴い、上田茂男のところに持参して内容の概略を説明したうえ、同人の決裁を得ていたこと、そして被告会社上田建設の四九年四月期及び被告会社大和不動産の同年九月期の各決算手続及び確定申告書作成の経過も右と同様であったことを認めることができ、これらの事実に、真野谷口土地については、前記一に認定のとおり上田茂男が税ほ脱の意図のもとに、契約条項に作為をこらして売上の繰延をはかったこと、南庄家田土地に関しては、前記二の認定事実に加えて前掲証人谷口喜良の供述によって認められる、前記昭和四七年一二月二八日の契約締結、昭和四八年三月二〇日の確認書交換、同年八月一〇日の契約一部解除及び本件南庄家田土地の売買契約締結の日には上田茂男がいずれも調印の場に臨んでいた事実を合わせ考えれば、同人は従前の契約の一部解除がなされ、南庄家田土地の売買契約が独立の契約となりその履行が完了していることを十分認識していたものと認められること、受取利息については前掲被告会社上田建設の第一八期及び第一九期各総勘定元帳によれば、昭和四八年三月二〇日及び同年八月一〇日の二回にわたりいずれも売買代金と延払利息とを含めた金額を未成工事受入金勘定に計上しており、前記認定のとおり経理部長大住が当然延払利息は別個に計上すべきであると考えており、現に従前そのように経理してきたことに照らせば、二度続けて同じ計上ミスをしたものとは考えられず、したがって、前記四で認定した事実をも考慮すれば、上田茂男は、売買代金とともに受取利息についても収益の計上を繰延べようと大住に指示したものと認められること、向日町土地については、前記五で認定したとおり、上田茂男は同土地の売却を利用して京都ビルを建築し圧縮記帳の特典を受けようと考え、四八年四月期において契約条項に工夫を施して売上を繰延べたうえ、当四九年四月期において京都ビルに関し圧縮記帳の準備として固定資産売却益と買換資産繰入損の計上を容認したこと、債務免除益については、前記六の認定事実と、右被告会社上田建設の経営実態とに鑑みれば、請負代金の未払分につきその支払をすべきか否かを決定するのは上田茂男以外に考えられず、したがって、債権者からの残高確認依頼に回答せず不払の意思を表明することになったのは右上田の判断に基づくものといわなければならないこと、大塚土地については、前記七で認定したとおり上田の指示に基づき過大な原価の計上がなされたものであること、右京区土地については前記八のとおり同人が大住と相談のうえ売上の繰上を決定したものであること、さらに価格変動準備金繰入についても、前記九で判断したとおり、本件右準備金の積立及びその損金算入が不正行為となり、その算入額はほ脱所得となるものであるところ、右認定の決算案及び確定申告書の上田による決裁の事実によって、同人が被告両会社の各価格変動準備金の積立及び同準備金繰入の計上を容認したものと認められることを総合して判断すれば、上田茂男は被告両会社の代表者としてその各業務に関し、法人税や会社臨時特別税を免れようと企て、以上認定のとおり売上の繰延や架空の売上原価の計上により各所得を秘匿する不正行為をなしたものであると認定しなければならない。右認定に反する上田茂男及び証人大住正次の各供述は信用することができない。なお弁護人は、上田茂男は前記一、二及び四ないし九において弁護人の主張したとおり自己の行為は正当であると誤認していたのであるからいずれについても故意がなかったと主張するが、上田茂男が弁護人主張のように現実に誤認していたものか否かは極めて疑問ではあるけれども、仮に右のごとき誤認があったとしても、左上田において課税要件たる所得の発生、売上繰延や架空売上原価の計上並びに税ほ脱の結果の発生という事実の認識があったことは前記認定のとおり明らかで、ただ自己の行為が違法でないと誤信したにすぎないのであり、しかもそう誤信するにつき何ら相当の理由があるとは認められないのであるから、同人には故意があったと認定しなければならない。
したがってこの点についての弁護人の主張もまた採用することができない。
一一 公訴棄却の主張及び本件公訴提起が矛盾しているとの主張
1 弁護人は、本件各公訴は、検察官が、被告両会社及び上田茂男を不当に差別しようとする不法な意図のもとに、捜査権限を濫用した違法な捜査に基づき、何ら嫌疑がないにもかかわらず、公訴権を濫用して提起したものであるから、刑事訴訟法三三八条四号により本件各公訴を棄却すべきであると主張するので、以下この点につき判断する。
(一) 弁護人は、検察官が捜査権限を濫用してなした違法な捜査として、(1)国税査察官がなした臨検捜索差押の際、検察官及び検察事務官多数名がその現場に臨み、国税査察官を指揮しつつ、自らも関係個所を捜索し差押すべき物件を選別するなどの強制処分をなしたこと、(2)検察官が、その請求にかかる捜索差押許可状を執行する際、帯同した国税査察官多数名をして擅に強制処分をなさしめたこと、(3)検察官は被告両会社の役員、従業員である大住正次、千足幸司及び渡辺芳春の勾留請求にあたり、免れた法人税額の摘示がなく、単に推定ほ脱額と称した推定所得額が記されているにすぎない、不明不特定の被疑事実を記載した勾留請求書により右三名の勾留を得たこと、(4)勾留中の右三名に対する検察官の取調にあたり、検察官は、終始国税査察官を同席させて強制取調をなし自白の強要をしたこと、の諸点を指摘するので、これらにつき順次検討するに、
まず(1)の点については、第六八回公判調書中証人南進の供述部分、同指熊悟の当公判廷における供述及び前掲同大住正次の供述によれば、本件については、大阪国税局査察部及び大津地方検察庁においてそれぞれの収集証拠に基づき犯則嫌疑事件及び被疑事件として立件したうえ、専ら証拠物等の読み切り及び税額の計算を同国税局が、被疑者の身柄拘束や取調を同検察庁が各担当する合同捜査を進めることとなり、昭和五一年六月九日、同国税局は、予め発付を得た被告会社上田建設京都ビルほかに対する臨検捜索差押許可状に基づきこれを執行し、同検察庁も亦同国税局と呼応して同日関係者を逮捕するため検察官又は(及び)検察事務官二、三名を同被告会社京都ビルに派遣したことはあるが、右検察官らが国税査察官を指揮するとか、自ら捜索差押えをするとかは一切しておらず、所期のとおり同日前記大住正次ら三名を逮捕したこと(もっとも右大住は同所と異なる場所で逮捕された。)を認めることができ以上によれば、検察官らが国税査察官による臨検捜索差押に臨んでいたことは弁護人の主張のとおりであるが、検察官らが右臨検捜索差押に仮託して国税査察官を指揮し、自ら捜索差押等の強制処分をなした事実はなく、検察官らの現場への臨場はむしろ関係者の逮捕のためであったと推認できるのであるから、この点に関する検察官らの捜査活動には何ら違法はないといわなければならない。
次に(2)の点については、弁護人の該主張は検察官が昭和五一年六月一三日になした捜索差押を問題とするものと思料されるが、検察官作成の同日付捜索差押調書(検丙三一)によれば、右捜索差押は、既に別件で差押えて大津地方検察庁に領置してあった被告両会社関係の証拠物のうち本件に関する物件を予め発付を得た捜索差押許可状に基づき、二重に差押するため執行されたものであり、右執行にあたり検察官は、検察事務官七名のほか国税査察官七名にこれを補助させたことを認めることができ、脱税事件のように差押物件の選別等に専門的知識を要する場合、国税査察官などの専門知識を有する者を補助者として捜索差押に関与させることは、これを効率よく実施するために必要であり、他方それ自体が捜索差押を受ける者の権利を特に侵害することはなく、かえって捜索時間を短縮し、過剰な差押を避け得るなどその権利保護を厚くする面もあることに鑑みれば、検察官らの執行する捜索差押の際、専門的知識をもつ者にその補助をさせることは違法ではないと解される。したがって本件右捜索差押を違法ということはできない。
また(3)の点については、逮捕状、勾留状及びその請求書に記載すべき被疑事実の程度については、犯罪構成要件該当事実につきできるだけ特定して記載すべきではあるが、未だ十分な資料が得られていない段階であるため、犯行の内容等に確定できない部分があるとしても、犯罪の特定に欠けるところがなければ、これをもって足りると解すべきところ、本件勾留請求書記載の被疑事実としては、弁護人の前記主張自体からして、脱税にかかる事業年度や、不正な行為、法人税を免れた事実など犯罪を特定するに足りる事項の記載には欠けるところがなく、ただ免れた法人税額の記載がなく、またほ脱所得額の記載も単に推定額にとどまるというのであるから、被疑者の勾留段階にあっては、ほ脱所得額及びこれに基づく法人税額に不確定の部分があるとしても、前記のとおり犯罪の特定に欠けるところはないのである。したがってこれをもって違法な勾留請求ということはできない。
さらに(4)の点については、前掲証人大住正次、同南進及び同指熊悟の各供述によれば、勾留中の前記三名に対する検察官の取調の際、各人に対し国税査察官各一名が毎回同席していたが、右同席は検察官の同意に基づくものであり、被告両会社の経理内容に関する担当者の供述を聴取する目的によるものであったこと、国税査察官南進は大住の取調に同席し、初めに自ら国税査察官である旨身分を告げ、検察官の取調中は専ら傍聴して一部メモをとったり、検察官から発問を促されれば質問をすることもあったにすぎないことを認めることができ、以上の事実に前記認定のとおり本件では大阪国税局査察部と大津地方検察庁との合同捜査が行われており、被疑者の取調は同検察庁が担当していたことを考え合せると、同席した国税査察官が補充的に発問したことがあったとしても、前記被疑者三名に対する取調は実質的に検察官による取調というべきであり、検察官はその取調にあたり遺漏なきよう、税法の専門知識を有する国税査察官の傍聴を許したものと推認され、そして検察官の取調の際このように専門知識を有する国税査察官などの同席を認めることは、法の絶対的に禁ずるところではなく、被疑者の供述を強要するおそれのない場合には許されるものと解すべきであり、本件においては被疑者の取調にあたった司法警察職員が当該被疑者の検察官による取調に立会う場合と異なり、何ら前記被疑者三名の供述を強要するおそれがあるとはいえず、また前掲証人大住正次、同千足幸司及び同渡辺芳春の各供述によっても取調検察官が自白を強要したことを窺わせる事情は全く認められないのであるから、この点に関する検察官の捜査活動にも違法なところはないといわなければならない。
以上のとおり、弁護人が検察官の捜査権限の濫用による違法な捜査であると主張する諸点は、いずれも理由がなく、本件捜査に何ら違法はないといわなければならない。
(二) 次に、弁護人は前記一ないし一〇で主張したとおり、本件公訴事実に記載されているような犯罪事実は何ら存在しなかったのであるから、本件は嫌疑なき起訴であると主張するが、右各点につき既に判断を示したとおり、犯罪事実の存在が優に認定できるのであって、本件が嫌疑なき起訴であるとは到底認めることはできない。
(三) 弁護人は、検察官が、被告両会社と上田茂男を不当に差別しようとする不法な意図のもとに、公訴権を濫用して本件公訴を提起した旨主張するが、右(一)(二)に判断したとおり、検察官においては何ら違法な捜査活動に出ることなく、適法な捜査手続により収集した証拠に基づき、十分に犯罪の嫌疑ある本件を起訴したものであり、しかもそのほ脱税額の極めて多大なこと及び脱税工作の巧妙さ等からみて明らかに起訴相当の事案というべきであって、これらの事情からすれば、検察官には何ら被告会社らを不当に差別する意図がなかったものと推認することができ、また本件起訴につき公訴権の濫用があったと認めることはできない。そして他に検察官の不法な意図や公訴権の濫用を窺わせる事情は何ら存在しない。
(四) 以上のとおり、弁護人の公訴棄却の主張はその理由がなく、採用することができない。
2 弁護人は、本件起訴にかかる被告会社上田建設の各取引のうち真野谷口土地に関する分については、検察官において、他方で上田茂男に対する背任被告事件として公訴を提起しており、その公訴事実において、右上田は滋賀県土地開発公社の理事長らと共謀のうえ、同公社としては真野谷口土地を取得してはならなかったのに、上田建設株式会社及び飛島建設株式会社等の利益を図る目的で、上田茂男において同土地を右上田建設から右飛島建設に転売させ、次いで同公社理事長らが所定の手続を経ることなく同土地講入を理事会で議決したうえ、右飛島建設から同公社が同土地を不当に高い代金で取得する旨の売買契約を締結し、よって同公社に財産上の損害を与えたものであると主張しているところ、右主張に従えば、本件被告会社上田建設と飛島建設株式会社間の真野谷口土地の売買契約もまた公序良俗に違反しかつ通謀虚偽表示による無効な行為であり、したがって同被告会社には課税対象たる所得自体が発生していないこととなり、結局同被告会社が右取引による収益を繰延べ、法人税等を免れたとする本件起訴とは矛盾するものであるから、本件公訴事実から真野谷口土地に関する部分を除外すべきであると主張する。
そこでこの点につき検討するに、右背任被告事件につき、公訴事実どおり上田茂男らに背任罪が成立するとしても、弁護人主張のごとく、右被告会社上田建設と飛島建設株式会社との売買契約が直ちに無効なものといえるか極めて疑問ではあるが、仮に無効となるにしても、税法の見地においては、課税の原因となった行為が厳格な法令の解釈適用の見地から客観的評価において不適法無効とされるかどうかにかかわりなく、右行為が関係当事者間で有効なものとして取扱われ、これにより現実に課税の要件事実がみたされていると認められる場合であるかぎり、右行為が有効であることを前提として租税の賦課徴収をすることは何ら妨げないものと解すべきところ、本件真野谷口土地の売買については、前記認定のとおり、当事者間で有効として取扱われて所有権移転登記等も経由され、代金支払の手形も全額一括して授受されて現実に所得が生じていると認められるのであるから、右売買が有効であることを前提として法人税を賦課することは何ら差支えないというべきであり、したがって弁護人の主張は採用することはできない。
(法令の適用)
上田茂男の判示第一の一及び第二の一の各所為は、いずれも脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律(昭和五六年法律第五四号)による改正前の法人税法一五九条一項に、判示第一の二及び第二の二の各所為は、いずれも会社臨時特別税法二二条一項に各該当するところ、
一 第一の一及び二の各違反行為は、いずれも被告会社上田建設の代表者である同人が同被告会社の業務に関してなしたものであるから、同被告会社については、第一の一につき前記改正前の法人税法一六四条一項により同法一五九条一項の罰金刑に、第一の二につき会社臨時特別税法二七条により同法二二条一項の罰金刑に、各処すべきであるが、上田茂男の右違反行為は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同被告会社についても刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い法人税法違反の罪の刑で処断することとし、なお免れた法人税額が五〇〇万円を超えるので情状により前記改正前の法人税法一五九条二項を適用し、所定金額の範囲内で同被告会社を罰金二億四〇〇〇万円に処し、
二 第二の一及び二の各違反行為は、いずれも被告会社大和不動産の代表者である右上田茂男が同被告会社の業務に関してなしたものであるから、同被告会社については、第二の一につき前記改正前の法人税法一六四条一項により同法一五九条一項の罰金刑に、第二の二につき会社臨時特別税法二七条により同法二二条一項の罰金刑に各処すべきであるが、同人の右違反行為は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同被告会社についても刑法五四条一項前段、一〇条により犯情の重い法人税法違反の罪の刑で処断することとし、なお免れた法人税額が五〇〇万円を超えるので情状により前記改正前の法人税法一五九条二項を適用し所定金額の範囲内で同被告会社を罰金六〇〇〇万円に処し
訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により各被告会社に対し別紙訴訟費用負担一賢表のとおり負担させることとする。
よって主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川口公隆 裁判官 佐野正幸 裁判官 相羽洋一)
別紙 訴訟費用負担一覧表
訴訟費用のうち次表の上段の証人に支給した分は下段の被告人に各負担割合に応じて負担させる。
<省略>
別紙1 修正損益計算書
上田建設株式会社
自 昭和48年5月1日
至 昭和49年4月30日
<省略>
別紙2(その1)
税額計算書
上田建設株式会社
自 昭和48年5月1日
至 昭和49年4月30日
法人税
<省略>
会社臨時特別税
<省略>
別紙2(その2)
土地譲渡税額の計算
上田建設株式会社
<省略>
譲渡した土地の帳簿価額の累計額の計算
<省略>
別紙2(その3)
土地譲渡税額の計算
上田建設株式会社
<省略>
譲渡した土地の帳簿価額の累計額の計算
<省略>
別紙3
修正損益計算書
大和不動産株式会社
自 昭和48年10月1日
至 昭和49年9月30日
<省略>
別紙4(その1) 税額計算書
大和不動産株式会社
自 昭和48年10月1日
至 昭和49年9月30日
法人税
<省略>
会社臨時特別税
<省略>
(注) <15>の※印の額は、<13>の額に、申告に係る課税留保金額1,496,000円に対する税額149,600円を加えたものである。
別紙4(その2)
土地譲渡税額の計算
大和不動産株式会社
<省略>
譲渡した土地の帳簿価額の累計額の計算
<省略>
別紙5 南庄家田土地経費明細
<省略>
(注)<1>の坪数は、48、3、20付確認書記載の坪数144.191坪に比べ3坪少いが、合意書面と同確認書を対比すると3筆につき各1坪同確認書の坪数が過大に表示されていることが明らかであるから、原価計算に当っては仕入時の合意書面の坪数を基準とした。